森のようちえんピッコロ 通信掲載(2017年4月号)

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 昨年秋の百町森保育セミナーで、講師の高山静子先生が「森のようちえんピッコロ」の、自然環境の豊かさもさることながら、人的環境の素晴らしさを紹介して下さいました。(詳しくは『げ・ん・き』No.155)代表の中島久美子先生をはじめ保育スタッフ(現在は4名)、保護者がとことん「子どもを信じる」、そんな子どもとの関わり方を自分の目で見たくなり、普段の保育の様子が見られる特別視察に参加してきました。

相手に寄り添い、思いやる気持ち

 朝の会から見学者が周りを取り囲んでいると、年長児たちが椅子を並べ始めました。中島先生が後で、大人に言われたのではなく自発的にお客さんのイスを用意してあげようと始めたこだと解説してくれました。その後、先生が何気なく一人の子に「どうして、大人は背もたれ付きの椅子だったの?」(子どもとスタッフは丸太のイスだった)と聞くと、「大人は疲れているから。」という返答。さらに、他の子の答えは「大人は重たいから。」ということでした。

 やらされているのでなく、自分たちでちゃんと考えて行動しているから出る言葉でした。中島先生は子どもに時々「何で?」と聞くのだそう。責めたり、誘導したり、期待したりする気持ちはなく、純粋に気持ちを知りたいから聞く。この視察の後、私も子どもたちに気持ちを聞いてみるようになりました。こちらがただ純粋に子どもの気持ちを知りたくて聞くと、本当に率直に答えてくれます。子どもは大人がどういう心持ちで質問しているのか、その違いを敏感に感じ取るなぁと思います。

 さらに、他の参加者の方から教えてもらったのですが、ある子がイスを並べながら、「ここだとグラグラして失礼だな。」と置く場所も考えていたそうです。スタッフは「普段から凸凹(の不便さ)を知っているから出る言葉だね。」と笑っていました。自分が経験しているからこそ、相手を思いやれる気持ちも育つ。子どものためと思い、不便なことを取り除いてしまうのではなく、子ども自身が経験し、実感することで成長につながることもあるのですね。

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(朝の会の始まり 先生が声をかける事なく、子どもたちが集まりだす。この日は寒かったので焚き火を囲んで。何も言わずまわりに立つ見学者用のイスを並べ始める年長児)

自分事として考える、そして失敗できること

 一般的に、森のようちえんは園舎を持たず、毎日森の中で保育をします。ピッコロは事務所を兼ねた古民家があり、悪天候時や冬季の昼食等は室内ですが、雨の日も雨カッパを着て森へ行きます。

 この日も朝の会でどこへ行くかを話し合い、森へ出発。一見すると自由奔放に遊んでいる様ですが、森だからこその決まりもあります。大人から見えるところまでしか行かない、森で見つけた物を何でも食べない、棒は下向きの3つ。そして、自分たちで考えて欲しいので言葉で指示することはできるだけしないそうです。

 森に入る時と帰る時には子ども達の人数を数えます。ピッコロではそれを年長児がしていることに驚きました。もちろん、スタッフも把握していますが、みんなが揃っているか確認することを大人任せにせず、自分事にする。私は保育士として働いてきて、これは大人の役割だと思ってきました。しかし、困ったことを大人任せにしていると、そのことが他人事になってしまう。子ども達が自分で考え、関わり、解決する。時には失敗して違う方法を考え直す。ここでは、その時間が保障されています。ピッコロの子ども達には、たくさん失敗することも認められているのです。

 大人が先回りして答えを教えたりせず、子どもが自分で考えては、試し、解決するのを「待つ」。すでに答えを知っている大人はこの「待つ」ことが苦手です。そして、答えを知っているからこそ、間違える、失敗することをさせてあげられない。失敗して、そこからわかることもあるということを私たちはつい忘れてしまうのかもしれません。豊かな自然環境の中で、時間に追われることなく自分でじっくり考えたり、試す事が出来る時間を過ごし、それを見守ってくれる大人に囲まれて育つピッコロの子ども達。この子たちが大人になった姿を見てみたいと思いました。

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(森で遊ぶ豊かな時間 子どもたちは思い思いに、枝で魚釣りごっこ、大きな岩を持ち上げ生き物探し、葉っぱで遊んだりと、森の自然全てが遊び場で遊び道具になる。)

揺れる心、戻れる軸

 ピッコロが大切にしている「心は揺れて大きくなる」という考え。自分の今までの保育は、子ども達が揺れることを怖がったり、面倒がったり、その場を取り繕うような解決法を選んでいなかっただろうかと反省しました。そして、揺れることは子どもだけでなく、私たち大人の日々の保育や子育てにも言えます。これで良かったんだろうかと悩みの連続です。しかし、どんな子どもに育って欲しいか、どんな経験をしてほしいか、子どもへの思いという軸がしっかりしていれば大丈夫。いろんなアプローチがあっていいのではと思えるようになりました。

 「イーヨーの園訪問記」は今回が最終回となります。今まで読んでくださった皆様ありがとうございました。